早いものでもう12年経ちました。

東日本大地震、あれから早いものでもう12年経ちました。今日から数回に分けて当時の事を書きたいと思います。

当日私は、ちょうど地震の時に北海道の北見市に向かう飛行機に乗っていました。ですから揺れというものは結局経験しておりません。東京に住んでいた者としては珍しい事かもしれません。そして、福島県の大熊町、ここは原発のある街なのですが、ここは私の妻の実家が在る街でございました。当然その当時も実家がありましたので、大変な事になったということで、私の義父、義母、家族全員が郡山市にある学校の体育館に避難をいたしました。しかし、義父が途中で行方不明になってしまったのです。後々、2週間後に発見されたのですが・・・。

義父は大熊町の町議会議員も長く務めた方でした。どちらかというと保守系の方でしたが原発にはあまり賛成していなかったように覚えております。私は時々義父の秘書役を務めもしていました。当時の東京電力の会長のところにも私の運転で何度か伺ったことがありました。当時、原発の軽微な事故については報告されない事もあったようで、義父は東電の会長に向けて「何故地元に報告がないのか?原発と地元は、ある意味一蓮托生のようなものなのだから、きちんと報告して頂かねば」と言っていたのを覚えています。私は、一蓮托生とはどのような意味だろうか?と思ったのですが、よくよく考えてみると私の妻には兄が二人いて上の兄は家業を継ぎ、下の兄は福島県広野町に在る東電広野火力発電所に勤務しておりました。大熊町では他の家でも同様に、次男、三男が東電関連の企業に勤めているということが多くあったのではないかと思います。そのような状況である意味、自分たちは被害者であり加害者でもある。といった思いがあったのだろうかと思います。

私の義父は行方不明だったと言いましたが、どこに行っていたのか?実はなんと自宅に戻っていました。2週間後、大湊の自衛隊の方々に発見されたのですが、自衛隊の方々には本当にお世話になりました。今でも感謝しています。義父に、何もない家で2週

間もどうやって暮らしていたのかと尋ねたのですが、飼っていた犬と共に残っていたおにぎりなどを食べ暮らしていたそうです。水はどうしていたのか。なんと池の水を飲んでいたということでした。その後、一年もしないうちに義父は急に進行性の癌を患い、発病後、一年も経たずに他界してしまいました。この進行性の癌の原因はなんだったのか?それは解りません。ただ、義父は若い頃県の俵かつぎ競争(俵は60キロ!?私には担ぐことさえ無理です笑)の記録も残す程の元気な人で、それまで癌などの病気を持っていなかった義父が83歳にして突然癌になったという事に大きな衝撃を受けた事を今でも忘れられません。一方、義母は郡山市の避難所での生活が始まって2か月くらいで体調を崩し倒れてしまい、その1年後、残念ながら亡くなりました。

私は当時、原口一博さんと一緒に郡山市の避難時などに行ったことがありましたが、その時に「何が一番不足しているの?」と尋ねると、いろいろな所から様々な物資が送られてくる、本当にありがたい。と仰っていました。そして逆に避難所の多くの人たちから「自分たちを襲ったのはどんな津波だったのか?」「原発はどうなってしまったのか?」と質問をされました。避難生活が始まり1か月ほど経過していたころでしたが、あの日私たちがテレビで見ていた地震発生時の状況を、被害に遭った当事者の皆さんはほとんど目にしていなかった。要するに圧倒的に情報が不足している状況でした。テレビを用意させていただいたら皆さんが大変喜んでくれたのを鮮明に覚えています。

原発の事故という大変な事態が発生しました。もちろん電力会社の皆さんも起こそうと思って起きてしまったものではありません。しかし、ヒューマンエラーや様々なミスというものが有るのも事実です。先日お亡くなりになった漫画家の松本零士さんが宇宙戦艦ヤマトという漫画を描いていましたが、この漫画はガミラス星という星の人たちが遊星爆弾といういわゆる放射能爆弾を地球に打ち込み、地球の環境を変えてしまい占領してしまおう。といった内容だったと思います。その時にガミラス星の双子星であるイスカンダル星のスターシア王女が地球のために放射能除去装置を用意してくれて、宇宙戦艦ヤマトがそれを取りに行くという漫画でした。1970年代後半の作品だったと思いますが今でも通用する内容のSFですよね。放射能というのはなかなか人の手には負えないのかな、と思います。

今、政府が新しい原発を造るといったことを言い始めていますが、そのような動きに対してたいへん危惧しております。重要なことですので急ぐことなく、冷静に、議論を深めて、皆で決めていかなくてはなりません。基本的に、悪い社会を目指そうという人はいないはずです。また、原発政策のような問題にはどちらかが100パーセント間違っていてどちらかが100パーセント正しいという事はないと思っています。お互いによく話し合うという事が本当に重要だと思っております。

 

そういえば結婚する前に初めて義父と義母にご挨拶に伺ったときに大熊町を案内してもらったのですが、その時に原発の温排水を利用した養殖施設を見せてもらいました。見学している時、私が軽口をたたいて「原発の温排水だからエビとか大きくなるんですかね?」とふざけて言ったら、ものすごく怒られました!震災後にその施設を見に行ったのですが、津波で跡形もなくなっていましたね。義父は優しい親父さんだったんですよ。でも、あの時は怒られたなぁ・・・